mistarbird’s blog

日々のこと、節約、断捨離、奨学金の返還中

通知表の担任所見、他人の評価

働き方改革で、通知表の担任所見欄をなくすと、ネットニュースで見ました。

私はなくなっていい派です。

当時は何も考えていませんでしたがこのニュースを見て考えてみると、先生たち、大変だったろうなと思います。

毎度毎度、一人一人、考えなくてはいけない。

もし私がそれをすると考えると、すごくキツイ。

通知表がでるひと月前くらいから、生徒の様子を見始めて、何を書こうか考えます。

普段から生徒のことなんて見れないです。

特に目立たない、私のような(笑)、一日に先生と話をするかどうかレベルの生徒は、あえて見なければネタもない。

所見欄がなくなれば、先生によっては気に掛けるキッカケもなくなってしまうこともあるかもしれませんが、負担が減れば心の余裕もできると思いますし、その余裕を生徒に向けて使ってくれる先生も現れるかもしれません。

・・・減った負担分、別の仕事を突っ込まれるのが日本だと私は思っているんですが。

 

それはともかく。

働き方改革としてもですが、生徒側としても、なくなっても問題ないように思います。

いろんな先生がいると思います。私が思いつくだけで、普段から生徒をしっかりと見てくれる先生、所見欄を埋めるために生徒を見る先生、目立つ生徒・普通な生徒・目立たない生徒である程度わけて定型文を少しずつ変えて書いとけ、な先生。

いつの頃だったか。先生、私の所見欄、友達と全く同じ内容でしたね(笑)。

それだけ負担だという現れなのかもしれませんが。

 

私の場合ですが、学校、家、友達、兄妹間では性格が異なっていました。かけ離れた異なり方ではありませんでしたが、人見知りなのもあり、いわゆる猫をかぶった状態。

家庭訪問もありましたが、私は親に猫をかぶることも多かったので、先生と親との間ではそんなに食い違いもおきなかったことでしょう。

そういう生徒もいるので、所見欄にはあまり、意味を感じていません。

親にもよるとは思いますが、自分の子供にはこうあってほしい。みたいな押し付け。

どういう先生でどういう書き方をしているかも考えず、理想の評価を得られなかった親は、子供本来の性格を否定する言葉を投げつけるかもしれません。

 

他人の評価を気にしていたら、身動きが取れなくなります。

私は他人の目を気にするように育ちましたので、自分の意見は中々言えないし、少し行動するにも他人の目にはどう見えるのかと考えてしまいます。

考えすぎだと理解しているので、一人で外食してみたり(友達いないんだと思われると思っていました。いませんけど!)、職場の人に普段の生活を聞かれたら話してみたり。休みの日はアニメやニコニコ動画を見て、家庭菜園などして過ごすといったことを話します。以前はアニメや動画を見る、ということがオタクに思われると思って言えませんでした。

あ、別にオタクを差別しているわけではないです。

社会にでてみたらなんでもなかったんですが、学生、特に中学高校時代。オタクとされた人は目立つグループから差別的扱いをされていたのでどうにも完全に抜けきれず。学校は小さな社会とはいいますが、あれは社会じゃないです。井戸です。

これも他人の目。

絶賛立ち向かい中ですが、根付いていて中々生きづらく感じます。

このブログも自己確立の一つだったりします。日記であり記録であり頭の中の整理、文章の練習であったりもしますが。

他人の評価を気にするより、まずは自己分析・自己評価。

その評価は正当?私情はない?判断材料が不足していては振り回されるだけ。

他人の評価全てが悪いとはいいませんが、時として毒にもなります。

自分の人生なので、蝕まれて終えることのないようにしていきたいです。